まほらの天秤 第15話


「あ、やっと見つけた」

額に浮かんだ汗をぬぐいながら、僕は安堵の息をついた。
今朝は日が昇るとすぐに山へと分け入り、彼を見つけた場所を中心に、獣道を歩き回った。
・・・正確には、走り回った、だが。
獣道はいたるところにあり、手当たり次第に駆けまわって見ても、どれもこれも行き止まり。そのうちどの道を探したのかも解らなくなってきて途方に暮れ始めた頃、その獣道の中に、ダールトンのものと思われる足跡が残る物を見つけ、それを頼りに先へと進んだ。
恐らく地面がぬかるんだ頃にできたのだろうその足跡は、迷うことなく奥へ奥へと進んでいき、その足跡を見落とさないよう注意しながら、はやる心を押さえて先へ先へと足を進め、そして、森の中に小さな家を発見した。
木々に囲まれた狭い空間に隠されるように建てられたその家は、場所を知らないものであれば発見するのは難しい。
ざっと見た限り荒れた様子はなく、間違いなく人の住んでいるその家は、彼の、ルルーシュの家に違いないと、玄関へと足を進めた。
呼び鈴も何も無い玄関。
コンコンとノックをしてみるが、返事はなかった。
何度かノックするがやはり反応なし。
時計を見ると間もなく8時。
寝ているのだろうか?
家の周りをぐるりと歩いてみるが、今日は天気もいいことから窓が開けられ、網戸を通り抜けた風がカーテンを揺らしているのだからルルーシュが寝ているという事はないはずだと、再度ノックをした。

「うーん、おかしいなぁ・・・留守なのかな?」

昨日もここから10分ほど離れた場所に居たのだから、今日も森の中を歩き回っている可能性はある。
こんな山の中をひとりでなんて、危険すぎる。
そこまで考えて、スザクはハッとなった。
窓を開けたのは今日とは限らない。
昨日、随分と走り回って疲れさせてしまった。
そのせいで体を壊して起きられなく・・・。
まさか、倒れているとか・・・?
誰もいないこの場所で!?
そこまで想像して、スザクは顔をざっと青ざめさせた。

「ルルーシュ!」

返事を待っていられないと、ノブに手をかけると、扉はあっさり開いた。
鍵穴はあるのだが、施錠はされていなかったらしい。
何て不用心な、と一瞬思いはしたが、そんな事よりルルーシュだと、僕は家の中へと駆けあがった。
ルルーシュは声が出せない。
その上こんな山の中で一人暮らしだ。
体を壊しても助けなど呼べない。
ああ、だからダールトンは心配して見に来ているのか。

「・・・いない?」

全ての部屋を調べたのだが、ルルーシュの姿は何処にも無かった。
スザクに気付いて隠れたのだろうか。
そんなに怖いのだろうか。
胸がずきりと痛んで、思わず眉尻を下げた。
キッチンへ足を向けると、そこには冷蔵庫も、ガスもなく、水が出るかも解らない蛇口とシンクが取り付けられたキッチンと小さな棚が一つだけあるだけだった。
キッチンへと近寄り蛇口をひねってみると、驚いたことに水が出た。
もしかしたら地下水を引いているのかもしれない。
水を止め、シンクの下の棚を覗くと、調味料の類と鍋が綺麗に収納されていた。唯一の棚には食器の類と、開封済みの食料。
小さな棚の裏側には、隠すように布をかけた籠が置かれており、中を覗くと缶詰などが所狭しと詰め込まれていた。見覚えのあるそれらに、昨日スザクと別れたダールトンがここに来た事が解った。
彼の性格を考えれば、既に片付けられているべきものなのだが、このキッチンには小さな棚が一つしかなく、これらのものを収納する場所が無いのかもしれない。
そして、定期的に食料を運んで来るという人物に見られないよう隠しているのだろう。知られれば、罰せられるのはルルーシュだ。そして、ダールトンはもうここに来ることはできなくなるだろう。
見て回った限り、それぞれの部屋にも最低限のものしかなく、唯一の本は歴史書だけのこの場所で、彼が不自由な生活をしている事は否が応にも理解できた。
悪逆皇帝は悪魔の如き頭脳を持ち、次々と人々を苦しめる政策を打ち出した。
彼のもつ才能、その知略を開花させないためには、学ぶことを制限する必要がある。
だから言葉と知識を奪われ、この場所に一人で。
屋敷の生活との落差に、ため息しか出ない。
木々に囲まれているせいか家の中は肌寒く、人の気配もない事で酷く冷たくさびしく思えた。ここにいても仕方がないと、再び家の外に出て、どこを探すか考える。

「・・・どこに・・そうだ、確か家庭菜園をしているはずだ」

ダールトンが持ってきたはずの種が籠にはなかった。
と言う事は、それを撒いている可能性はある。
そもそも、家の周りにそれらしい菜園はなかった。
もし誰かに見られたら、種の出どころなどを問い詰められる危険性がある。
ならば人目につかない場所に作ったはずだ。
それも、そう遠くない場所に。
注意深く辺りを調べると、新たな獣道を見つけた。
人が通ったことで出来たそれを辿ると、少し開けた場所に彼の菜園を見つけた。
そして、彼も。
あの長いコートを脱ぎ、黒いシャツに黒いスラックスだけの背中は、懐かしいルルーシュのものだった。
黒くまっすぐな髪も、記憶のままそこにあった。
彼はこちらに気づくことなくハサミを使い、今日食べるのだろう野菜を収穫していく。
その姿を見て、スザクは息をのんだ。

「・・・何、アレ・・・」

思わず、かすれた声で呟く。
彼のその白磁のような白い腕には、遠目でもはっきりと解るほどの赤黒く醜い傷跡があったのだ。
腕まくりをされたその腕から手の甲にかけて、その白い肌の半分ほどを埋めるその傷跡は、よく見れば彼の首元や耳の辺りにも見て取れた。
顔には白い狐の面をつけたままだが、傷の状態から見ても、その顔が無事だとは到底思えなかった。
彼が顔を隠している理由は、悪逆皇帝の顔を晒さないためだと思っていたが、焼け爛れた傷を隠すためなのかもしれない。

-悪逆皇帝はその口から毒の言葉を吐き、その美しさは多くの臣民を惑わせた-

ざわりと、背筋が震えた。

火傷。
声。

ダールトンは事故で、と言ったが、どんな事故だ?
今はまだ後ろからしか見ていないが、おそらくその喉元にも火傷の跡はあるだろう。
人は体の1/3を火傷すれば死んでしまう。
彼の傷はそれに満たなかったとはいえ、それに近い量だったのではないのだろうか。
悪逆皇帝の生まれ変わりだからと、生きながら焼いたのか、彼を。
美しいと称されたその姿を醜くするために。
焼けた熱いすすでも吸いこんで、喉を焼いたか、潰されたか。
この屋敷に来てからは暖かく満たされていた心が、途端に凍りついて行くのが解った。
こんな傷を負った人間を一人ここに隔離し、生きられるぎりぎりの食料を与えて飼殺しにしている。
そんな事をする人たちが、世界に平和をもたらす使者とよばれ、何不自由のない生活を送っているのか。
ルルーシュが生み出した平和の中で、ルルーシュを虐げながら。
彼の王は悪逆皇帝ではなく、間違いなく賢帝だった。
人々の幸せな明日を夢見て、その命を生け贄に捧げた。
願いという名のギアスのために。
ふつふつと、この数百年眠ったままだった感情が目を覚まし始めていた。
野菜を収穫し終えた彼は、袖を直すと木の枝に掛けていたコートを身に纏い、鈴を腕に着けた。
ちりりん、ちりんちりんと、涼やかな音が響く。
そして野菜を入れた容器とハサミを手にこちらを振り返り、そして、硬直した。
その視線の先には、当然スザク。
静かな怒りを宿したその姿に、彼は恐怖からか後ずさった。

「・・・おはよう、ルルーシュ」

どうにか顔に笑みを乗せ、ルルーシュにあいさつをした。
声が低く、視線が冷たくなるのは・・・仕方のない事だろう。

・・・ちりーんと、暫く間をおいてから、鈴の音が響いた。







「悪逆皇帝ルルーシュ」を完全に封じるにはどうするかという話。

知識は与えず、書物の類は禁止(歴史書は悪逆皇帝の非道を憶えさせるため)
人を惑わせる美しさなら、醜く。
言葉で操るなら声を奪う。
そして念のため外界からも隔離。

元々この話にルルーシュは出る予定なかったのに、出すことになった事でこんな理不尽な扱いをされる結果になりました。
私は本当にルルーシュを傷つける話ばかり書きますね。
可哀想に。
でも反省はしてません。

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